「物語」と「反物語」ということ 11/14-2002
菅間 勇
じぶんの芝居作りについてなにか考える方途や手がかりがないものか。そんなことを思い
ながら芝居をみているわけではないが、芝居をみながら難解で不可解な場面にぶつかると、
この場面はいったいなんだろう、ここにはどういう演出的な意図や工夫が織り込まれている
のだろう、そんなことを頭のなかで想い巡らしているじぶんが確かにいる。今度の「ヤジル
シ」もそうだった。この作品はとても手放しでおもしろい作品とはいえないけれども、ここ
には考えるに値するなにかが存在すると思いながらみていた。じぶんの関心にそっていえば、
この舞台には「物語」と「反物語」との確執と軋轢が存在している、そう思った。ぼくは評
論家ではないからこれから述べることはただの印象的感想にすぎないことを断って、このメ
モをすすめてみる。
その前に、身勝手なからかい半分の冗談を許してもらうことにする。
すぐにあげられる印象でいえば、太田省吾さんの壮大なこの作品の上演には新国立劇場の
小劇場は小さ過ぎたんではないのだろうか。日本人の西洋に対するコンプレックスがみごと
に露出されていて、バカバカしくも無意味なあの金ピカの巨大なオペラ・ハウスみたいな大
劇場で「ヤジルシ」をやってもらいたかった。太田さんの試みは、たぶんその方がおもしろ
く、観客としては太田演劇の特色をより堪能できたのではないのだろうか。
作品「ヤジルシ」は、創った太田さんが、これは前衛的な作品ですと考えていようがいま
いが、とてつもなく巨大で空虚で無意味で明るいエンターティエメント市場のなかの一作品
として存在している。まず誰でもが想起できる「遊び」のイメージでいえば、作品「ヤジル
シ」は、第三次世界大戦/核戦争後、廃墟と化した地球のロゴス物語であり、ハリウッド映
画の「猿の惑星」みたいな映画と同断なのだ。これは、ぼくみたいなごく普通の一般大衆が、
太田作品をみてじぶんの頭のなかに任意に描き出すことのできるイメージで、観客の側のみ
ることにまつわる現在の所与の恣意の水準なのだ。
今回の「ヤジルシ」をぼくなりの悪ふざけのイメージでいえば、被爆によって半壊したオ
ペラ・ハウスが主舞台となり、オペラ・ハウスの大きさを逆手にとって、人間の存在とその
演技などほとんど見えないくらい小さくして、もっと過激に俳優を無慈悲に突き放して演出
して欲しかった。効果音楽は実際のパイプ・オルガンを使ってもおもしろい。破れた礼服を
身にまとったなんだかわからないオッサンがわけもなくあらわれ、オルガンにしがみつき狂
ったようにシューベルトの「鱒」とか童謡「カラスなぜ泣くの」でも演奏し、出演者全員が
合唱すれば、なんだかよくわからないけど無意味で楽しく、それでいて誰でもが自由闊達に
笑える作品になったのではないだろうか。(笑われる作品なんか、太田さんはイヤかな?)
観劇後、ひとり帰路についた観客は、無意味の海の洋上で漂流し続けているぼくたちじしん
の「孤独」にはたと気づくのではないだろうか。
いま「前衛」劇などどこを探してもなくなってしまった。でも、せっかくの新国立劇場さ
んと太田省吾さんの組み合わせなのだから、両者には、現在のこの不景気風を吹き飛ばすく
らいの悪ふざけをしてもらいたかった。税金を使って演劇を造るということの、それが意味
であるように思う。だって、太田さん、無意味で無謀で無価値で空疎みえる極小の反世界こ
そ、現在かろうじて「意味」となりえることを、太田さんじしんが舞台で創りあげてきたの
だから。まあ、こんなこというぼくのほうが無謀で、もちろんバカです。
「声」というイメージをたよりに、太田さんの試みに臨んでみる。
「ヤジルシ」には、薄暮のように霞がかっていてうす暗いのだが、でもなんとなく漠然と
した全体感みたいなもの、手触りのある存在感みたいなものが確かに存在していた。その全
体感や存在感の発生のメカニズムは実ははっきりしているのだが、まずは作品「ヤジルシ」
に誰でもが感じたであろう具体的な疑問(わからなさ)から入ってみることにする。
1、セリフの〈声〉が大き過ぎやしないか?
ぼくには、俳優さんたちがみんな、いちように怒鳴っているようにしか聞こえなかった。
@小劇場といえども、容器としての劇場はやはりそれなりに大きいので、少し声を大きく
して、セリフを観客に聞こえやすいようにした。
A俳優の演技の技量の(上手・下手)の問題が存在した。
@とAとの現実的な問題は、ここでは捨てちゃっていいとおもう。
すると、B「作者」か、「演出」か、そのどちらかが、演技者の声を大きくしたかった。
では、C「作者」、あるいは「演出」は、俳優に大声を出すことを指示することによって、
なにを獲得(表現)しようと考えていたのか?
セリフの意味内容とその連環の総和を上層の意昧層と考えれば、そのセリフをいかに喋る
か、喋っているかという演技者の心的・身体的演技表現の表出の総和は下層の意味層となる。
ぼくたち観客は、上層の意味層を物語の進行を示すものとして、下層の演技表現を人間存在
にまつわる根源的な感情の表出として、そのふたつを同時にひとつの舞台表現から感受して
いる。そして、その上層性と下層性とのちぐはぐな連結やたぐいまれな乖離を、わたしたち
は演劇のもつ固有の「価値」と考えてきた。
単純化していえば、熱烈に愛し合った男女が、いま舞台で笑いながら恋愛の破局として訣
かれ話をしているとする。ぼくたちは、その当人(俳優)たちの話している内容から察して、
ああ、いまふたりは訣れ話をしているんだなという意味(上層性)と、もう一つ、一般的に
いって二人にとって訣れ話とは悲しいはずなのに、なぜこの二人は訣れ話を笑いながらして
いるのだろうかと疑問を感じながらふたりの演技者の状態(下層性)をぼくたちはみている
ことになる。このふたつの層の違いの同居を、わたしたちは演劇の価値と考え、観劇してい
るのだ。
イ……はじめの場面で、主人公夫婦(大杉漣さんと、金久美子さん)が、なにかよくわか
らないが、太声でケンカみたいなのをしている。
ロ……中程の「ムチャクチャ・タンゴ」で、またその夫婦は大声で夫婦生活の述懐をする。
ハ……学校のシーンみたいなところで、先生(?…谷川清美さん)とその恋人(?…金井
良信さん)らしき人物が、じぶんたちの恋愛にまつわる悶着を大声で怒鳴りあう。
まだまだ大声のシーンはたくさんあった。
観客は、これらの「大声」のシーンの表現を、これはおかしい、語られている会話の意味
の流れや趣旨からいって、なんでこんな大きい声が必要なんだろうかと考えながみている。
やがて観客は、どんな会話内容であれ、「作者」か「演出」か、そのどちらかが、とにかく
大きい声で会話をさせたいんだ、と見当をつける。そして大声で会話をさせる意図がどこに
あるんだろうと類推をしはじめる。ぼくもまったく同じ筋道をたどって作品「ヤジルシ」を
みていた。ここに「ヤジルシ」の有している全体感や存在感の秘密と作品の破減点とが同時
に存在してる。
余談だが、もう三十年も前に早稲田小劇場という小さな劇団の研究生だったころ、演出の
鈴木忠志さんに「おまえ、セリフを誰に向かって喋るのか? セリフには必ず対象が想定さ
れている。それを考えてみろ。近代劇以降、セリフの対象は原則として二つしかありえない。
じぶんに喋るか相手に喋るか、だ。」といわれたことがある。いまなら「病者」という概念
を付け加えたいところだが、当時演劇学徒だったぼくにはこの鈴木の原則論の教えは眼から
ウロコのあざやかな体験でスゲェナーなと思ったものだ。現在ではこの鈴木の教えにぼくな
りの変形は加わえてはいるものの、原則としてはいけると思っている。結果として近代劇は
「セリフの対象」を「じぶんか他者か」に絞り込むことによって舞台から「神」を追い出し
てしまい、荒事的な劇の楽しさを薄めてきてしまったが、そのぶん近代人の自意識の闇に向
かって言葉を無限に紡ぎ出していく方法を確実に編み出していった。
普通の声の大きさで話せば他者にセリフ(言葉)の意味は通じるし理解してもらえる。な
のにケンカでもするみたいに過分に声を荒げて話をする。こんな状態をじぶんの日常生活に
あてはめてみて、じぶんでもこういう振る舞いをしている状態を想像してみる。
「深酒したときのあんた、そういう状態になってる。しつこくて同じことを何度もいって
る」と、奥方に尋ねればきっとそんな応えがかえってくるに違いない。こういうときは、眼
の前に相手がいながら、心的には相手の存在を見喪っていて、自己が自己に取憑いている状
態で、実はじぶんしかいない。じぶんの作り出した幻想の相手に向かって喋っているのだ。
イ、口、ハは、語り手としての「演出」は、主人公の大杉さん(金井さん)と金さん(谷
川さん)に生活挿話を与え、二人を物語のなかへ組み込みたいと願っているのに、作者とし
ての太田省吾が、意識的にその進行を阻止している箇所なのだ。語り手とすれば、相手に届
くような声の大きさで相手の理解を求めればいいだけの箇所なはずなのに、作者が勝手に身
をのりだしてきて、理解のための説明(の音声や表情)を中止させ、自己の心の状態の瞬時
の感受を相手に要求しているのだ。ここで、作者は、語り手と分裂する。語り手は、物語を
無難に進行し「夫婦の生活物語」を完成し役目を果たしたいのに、作者は物語の成立を禁忌
しているのだ。いくら作者が物語を嫌がっても、物語の導入なしには作品が実現しないのは
自明なことだ。でも作者は、物語が成就されることでやってくる安堵感と安定感が虚妄であ
ることを熟知しているから、どうしても物語を阻止したいのだ。なぜなら作者に、物語の成
立を阻止することだけがかろうじて許された「作品」創造の意味だし、倫理であると信じら
れているからだ。作品のなかでおおらかになりたがっている語り手とくらべると、どうして
も作者は惨めでケチくさいものとしてしか映らない。けれども、この矛盾と苦汁を選択する
以外に、作者もまた「作者」という現在の概念を獲得できないことも自明なことだ。
イ、口、ハの場面の声が必要以上に大きいと感じられる、それは、太田省吾という「作者」
から直接やってきた意図で、太田さんの「孤独感・いらだち・混迷」の直接的な表出だと考
えてもいいだろうし、そこに、みずから作り出した語り手に反旗を翻している太田さんの倫
理をみてもいいだろう。(もちろん、パンフレツトで太田省吾じしんが語っているように、
現行の演劇の趨勢が「社会物語」ばやりだから、それに苛立った太田の「否」の態度として
「大声」を使ったなどとバカげたことをぼくはいっているのではない) ぼくは、作品「ヤ
ジルシ」に登場し、過分な「声」で話をする人物たちを、そんなふうにみていたし、作品に
沸き立っている全体感や存在感の由来は、作者と語り手の軋轢と衝突で醸し出されるエネル
ギーなんだなと思ってみていた。
でも、そういう演技表現が、作品の質的上向にどれだけ関与しているか、「大声」が作品
「ヤジルシ」にとって必然だったかといいなおしてもよいが、ぼくは、わからないとしかい
いようがない。「大声」によって太田の「孤独感・いらだち・混迷」の深さに触れることは
でても、「大声」によってぼくもふくめた一般観客の作品へ分け入ろうとする観劇の努力が
なんとなく遠避けられてしまい門前払いに似た感じを抱いたこともいなめないからだ。ぼく
みたいな芸能派からみれば、「大声」は、俳優のエロスの横溢感の表出というより、太田の
理知・知性という側面が前面に出てきてしまって、そのぶん、舞台は消化不良を起こし客席
から遠のいてしまったというのが本音のところだ。でも、理知派のひとは、たぶんぼくとは
まったく逆なことを考えているんだろうとおもう。
ことさら考えてみなくとも、この社会に演劇などなくてもいいものだ。なくてもいいもの
をあえて創っているのだから、観客にただ迎合するような芝居など創らない方がいいに決ま
っている。観客は、じしんの「孤独感・いらだち・混迷」を、舞台という幻想の場を借りて、
静かに燃え上がらせ白熱化させてみたいという気持ちを抱いて観客席に座していることも、
だがまた確かなのだ。
2、物語性の排除、あるいは「欝」ということ。
作品「ヤジルシ」も、いままでの太田作品と同じように、これといった物語というかスト
リー(?)、筋はあまりない。
では、舞台に物語の原型がないかといえばそうではない。貴(卑)種の部分を取り除いた
「貴(卑)種流離譚」の変形で、ただの「流離譚」だとおもえばいいし、現在のわが国では
みんな中流なっちゃって「卑」種も「卑」種もどこにも存在しないから、これが貴(卑)種
流離譚の普遍的な現在のカタチだと考えてもいい。
天井にあらわれたシミ=ヤジルシに誘われて流離する女、それを追う男、その両者が流離
の過程で出会うさまざまな人びと。これだけが作品「ヤジルシ」の物語だ。しかし、これだ
けの物語の大枠があれば、太田省吾の演劇には必要で充分すぎる条件が揃っているはずで、
太田さんは、以前から物語の奇抜な展開に力点において芝居を作ってこなかったし、むしろ
過小とも思えるほどの物語のなかで芝居を作ってきたひとだからだ。
物語とは、その起伏と展開のなかで意味を特定していく運動であり作業のことだ。入口よ
り出口を狭くすることで徐々に「意味」は特定されていく。したがって「意味」の特定には、
現実の秩序とその形式との事前の和解が絶対条件である。しかし、この世に芝居はなくても
いいものだという考えからすれば、現実の秩序とその形式を母数とする物語を先験的に容認
する必要はないはずである。たぶんこれが太田さんの芝居作りだし、作品「ヤジルシ」もま
たそのように作られている。
ぼくは、素朴にいって前項の「声」の大きさと同じように、俳優さんたちがいちように前
を向き過ぎて喋っていたようにおもえた。そうまでいわなくとも、声を前に押しだし過ぎて
いる、とおもってみていた。なぜ、前を向き、あるいは声を前に押しだすのだろうか?
その理由はふたつ考えられる。
一つは、だれにでもわかることだが、舞台の現実的な力学の問題で、もともと任意すぎる
場面どうしだから場面の連結が、物語の援助を受けないからバラバラになってしまって、う
まく接木できないのだ。俳優の演技表現も自然と同一の方向を見喪って霧散してしまう。だ
から、それを防ぐための接着剤の役目を与えられているのだ。
もう一つは太田作品の特徴で、登場人物たちはいつもなにか眼にみえない姿のないものか
ら被害を被っていると感じていたり、なにかから追われていると錯覚していたりしている。
太田は、これら登場人物たちの被害妄想や追跡妄想を、明確に異常の帯域に入っているもの
としては描いていないが、いつでも正常と異常をいききできるものとして描いていて、登場
人物たちはいつでもちょっとした「欝」の状態として設定されている。「ヤジルシ」に出て
くる登場人物たちもまた、こうした太田特有の性格付けがおこなわれている。ぼくが、かれ
ら登場人物たちが必要以上に前を向いたり声を押し出したりしていると感受してしまうのは、
見えない加害者や追跡者に対して、あるいはじしんの「欝」の状態に対して、太田じしんと
登場人物じしんの共同の異議申し立ての行動のあらわれなのかもしれない。つまり、太田さ
んの最期の「倫理」の場所なのかな、と思ったりしてみていた。
「病者」を演じることは、「普通の人」を演じることと同じような不可能なことだ。俳優
は、じぶんの現実感をバネにした想像力にそってしか対象をイメージ化することはできない。
だがそのイメージも演じることが不可能な宿命を背負わされている。イメージとは、蒸留さ
れた観念体そのものだからだ。俳優は、稽古場でじぶんが作りだしたイメージヘの変身を試
みる。だが演じることは、むしろじぶんのイメージを裏切ることになる。演技するとは、演
技するという現実体験のなかで、「じぶんのイメージ」ではなく、じぶんの力ではままなら
ない「じぶんという現実」を繰り返し再体験する冪乗性ことだ。これは台本を「書く」とか、
「演出」をするということまつわる一般的な誤解と同じで、「書く」くいうことは、じぶん
の抱いたイメージを文字の上に再現することではない。「演出」するとは、演出家のイメー
ジを俳優に押しつけ、じぶんのイメージの再現を狙うことではない。「書く」とは、記述す
る体験そのものだし、「演出」とは俳優の「生な存在の現実」を体験として強いられること
だ。世にいうイメージの再現性という誤解は近代劇が作り出した虚妄に過ぎない。そんなこ
とできるわけはない。
ぼくは、今度の出演俳優さんたちは、とんでもない世界を太田さんから与えられ、みんな
頑張ってよくそれに応えていたようにおもう。太田さんの演出的意向を、じぶんの演じるこ
との体験のなかで繰り返し繰り返し確認を試み、それでもなおよくわからなかったのではな
いだろうか。苦しみながら考え、よく耐えてい。少なくともかれらは、なにものをも再現し
ていなかった。
正直いって「声」というイメージから「ヤジルシ」をみていて、太田さんは相変わらずソ
フトじゃないなあと思った。ハードすぎるんだヨと思った。もちろん一般的にソフトな表現
がよくて、ハードな表現はダメだなどということはないし、またその逆もない。ただいつも
のように太田さんの「理知」が過分にみえすぎているんじゃないんですかねえというのが、
本音の感想だ。しかし物語を越えていくためには、いまなにが必要で充分な条件なのか、そ
れは太田省吾ひとりが背負うべき課題ではなく、現在の演劇が未知の領域から問われている
切実で本質的な課題であり、物語を越えていこうと考えているぼくたちの演劇者の共通の緊
急な課題でもあるからだ。「物語」「反物語」の確執を、太田省吾はよく耐えていたように
おもう。「演劇にはもともと主題もモチーフも存在しないのだという徹底した理念のもとに
作品の構造化がいかに可能か?」たぶんこれが、作品「ヤジルシ」の底に流れている太田省
吾の自問の声である。
ぼくは、いままでもこれからも演劇の国際性ということなど露ほども信じないが、この太
田省吾という演劇者はオリエンタリズムなどの意匠を借りず、わが国の「現在のありか」の
芝居を作り続けていて、そのそのケレン味のない固有性こそ国際性への通路となりえること
を身をもっ示している希有な演劇者のひとりだと思っている。今度もそこはいいとおもった。
そしてとにかく「体力」あるヨ、ともおもった。二時問十五分ぶっつずけで芝居を作ってし
まう。ぼくにはとてもマネできない。これは並大低の体力ではないでしょう。
これが、ぼくの「ヤジルシ」の貧しい感想です。
最後にこれも余談だが、「ヤジルシ」とは直接関係がないが、太田省吾のエロス的の表現
の背景についてふれてみたい。
太田さんというと「小町風伝」とか「水の駅」とかの演劇的方法のうえに立っているイメ
ージばかりをみんなが論じたがるから、ぼくは少し違うことをこの場を借りてちょっとだけ
いってみたい。太田さん+「転形劇場」が意識的に作ろうと思って作ったものではなく、身
体の底に眠っていた無意識が勝手に作動してできてしまったこと、実現してしまったこと、
をだ。
もういつの頃から忘れてしまったが、転形劇場と太田さんの作品にふれたとき、ああここ
には、昭和二十七、八年くらいから昭和三十年前半にかけて、太田さんが七才くらいから十
五才くらいに、かれが眺めてみていた東京の山の手の生活がある、そう思った。東京の山の
手に住んでいるひとたちの肉感性(エロス)や情緒、心的な行動のパターンがあざやかに舞
台に定着されていた。山の手の風情を風景として借景した芝居というのではない。山の手に
住むひとびとの生々しい肉感性が舞台に具現されていたという意味だ。もしかして、こっち
の方が太田の本質的な表現なんじゃないかと思ったほどだ。この発見には驚嘆した。
こういう奇妙な演劇者はめずらしく、貧しいぼくの演劇体験からいってそんな資質をもっ
た演劇者に、ぼくはいまだ三人しか出会っていない。東京の生活や風景を積極的に主題にし
た舞台などこれまで眼にしたことはないが、仮にそんな舞台があったとしても、かれらのよ
うに東京の地勢とそこに現に住んでいるひとたちのエロスを肉感豊かに実現できる演出は日
本のどこを捜してもちょっといないんじゃないか、とおもったほどだ。こういうぼくのいい
ぶんを、かれらはいちおうに信じないだろう。なぜなら、かれらはじぶんの演劇理念をもっ
ているひとかどのひとで、意識的な場面では知的な仮面を付けてしまうからだ。しかし、か
れらが実現してしまった舞台は、かれらの意志を越えて、むしろ反してというべきだが、か
れらの身体の奥底から発せられた、かれらじしんの身体と生活圏のエロスが、いつもかれら
の意識的なテーマを越えて横溢している。
ひとりは、かつての「中村座」と金杉忠男であり、もうひとりは「転形劇場」と太田省吾
であり、「青年団」と平田オリザである。かれらの名前の前にわざわざ「中村座」、「転形
劇場」、「青年団」と記したのは、かれがその集団と対になったときに成しえた仕事という
意味である。ぼくはかねがねこのひとたちの舞台は、このひとたちの年代的にいえば、七才
くらいから十五才くらいにかけてのかれらの眼から眺めてみた「東京」がみごとに具現され
ていて、かれらの隠されたモチーフは実は「東京物語」なんじゃないかなと思ったほどだ。
@太田の「東京物語」は、昭和二十八、九年くらいから昭和三十年前半くらいの東京の山
の手の生活……じぶんの子供たちそれぞれに個室を与えるほど裕福ではないが、それ
なりに親の眼がゆきとどいてい安定した生活であり、父権がまだ少しだが残っている時
代の感性だ。
A金杉の「東京物語」は、やはり昭和二十八、九年くらいから昭和三十年前半くらいの東
京の下町の生活……貧乏だが、周囲には爆撃で荒れ地となった原っぱに自然に蘇って
いて、それなりに自足した生活。
B平田の「東京物語」は、昭和四十二、四年くらいから昭和五十年くらいの東京の山の手
の生活……じぶんの子供たちになんとか個室を与えるほどになった生活で、子供の自
在性をそれなりに親たちが尊重していきはじめた生活……、である。
そんな雰囲気を抱えた登場人物たちが舞台で生き生きえ映えている。これが、かれらの芝
居をみるときのぼくだけの楽しみ方だ。演出の本来の仕事は、これだけでいいじゃないかな。
俳優を一記号としてではなく、一個の独立としたエロスとして対応しようという演出なし
には、こうした「東京物語」は、生まれえない。
楽屋口にて 菅間 勇
太田省吾さんが亡くなった。享年六十七歳、平成十九年七月十三日、肺癌であったという。
太田さんとはじめてお会いしたのはずいぶんと早い。いまから三十五、六年前、ぼくはま
だ学生の頃で、当時全共闘運動が激しく大学側のロックアウトで学内で芝居を発表する場が
なく、発表の場を学外に探していたとき、赤坂の坂下の二階建てのアパートの一階にあった
転形劇場を格安で提供してくれたひとが太田省吾さんであった。
以来、三十五、六年、太田さんの芝居を見続けてきたことになる。
おまえは、数多い太田演劇のなかでどれがいちばん好きかと訊かれたら、「小町風伝」も
好きだが、それ以前の三、四の作品、そして中村伸郎さんと岸田今日子さんの出演した「午
後の光」だと応える。方法的な演劇者の貌ではなく、太田さんの生活感のなかの人間や人生
に対する希望や諦めみたいなものが、素朴に舞台にあらわれていて好きだ。太田さんの前衛
性の背後に、かれのこういう資質と通俗性とが埋まっていると考えると、太田演劇はぐんと
分厚く豊かで、楽しくなるとおもう。
太田作品をまだまだみたかったが、それはもうかなわない。
以下は、ぼくがじぶんのHPに書いた「ヤジルシ」についての雑文で、新国立劇場の楽屋
口で「太田さん、こんなものを書きました」と直接原稿を手渡したしたとき、太田さんは「
ずいぶん分厚いね」と微笑んで受け取ってくれた。それが、最後の会話となった。合掌。
2007-09/20
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瀬川哲也さんの演技の場所
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いまから一年前、平成十七年の夏、かつての転形劇場の俳優さんだった瀬川哲也さんが亡くなった。七二才だった。ぼくは、瀬川さんを遠くからみていただけだったが、大好きな俳優さんで、あこがれの俳優さんだったので、かれの在りし日の舞台姿を想いだし、この世の礼に習って哀悼の無形の花を一本捧げたい。
瀬川さんが所属していた転形劇場の芝居をみるのは、楽しかった。太田省吾さんの独創的な作劇や演出の仕事にふれることができたからだ。でも、若かったあの当時も(現在も)怠惰でボンヤリしているくせに妙にかたくなで自閉してしまうところがあるから、ぼくの芝居の見方は極端に狭く窮屈で、当時の太田さんの仕事をちゃんとしっかりみていたとはとてもいいがたい。
当時、異形のもののようにみえた瀬川哲也さんや品川徹さん(現在でもカクシャクとして楽しく素晴らしい活動をしておられる。ちなみに去年テレビで放映された唐沢版の「白い巨塔」の「大河内教授」は白眉だった)の芝居にすぐに惹き込まれた。とはいっても、お二人をはじめてみたときは目つきの鋭いおじさんたちが胴間声を張り上げて怒鳴ってる、変なおじさんたちがいるもんだというのが正直な初見の感想で、やがて長い持続的な修練は「小町風伝」前後に見事に結実し、お二人の掛け合いと道行きは上質で軽快な漫才芸みたいな域に達し、ぼくたちを手放しで楽しませてくれた。以来ぼくは、皆勤賞をもらえるほど十年余の間毎回欠かさず転形劇場の芝居をみにいった。お二人の舞台姿は、生命感に溢れていてとてもエロチックにみえた。ああ、そうか、稽古とは、じぶんじしんの地の声や呼吸を相手役(他人)通して探す旅なのか、そんなことをお二人の芝居から教えていただいたような気がする。太田省吾さんの演劇上の最良の仕事のひとつは、瀬川哲也さんや品川徹さんの破天荒な芝居(演技)を許容し、ときにお二人に助けられながら、大変に長い間一緒におなじ時間と空間を遊んできて、結果としてお二人に代表されるような優れた俳優さんたちを多く輩出したことだ。これは太田さんの仕事を揶揄していっているのではない。作家や演出がどんな優れた演劇理念をもっていても、ほんとうは俳優は最後には作家や演出の演劇理念なんかと心中などしない存在だからだ。ぼくたちが他人のために生きないのとおなじように。劇理念によって一過的に集団は構成されるが、劇理念では芝居は生まれない。ひとが表現に向かうとは、「〜のために」ではなく、実は「ただ表現したいだけなんだ」し、「じぶんを慰藉したいだけ」なのだ。一見、野放図で無意味にみえるこんな表現への基本的なおもいをたえず演劇や集団の理念に組み込む努力をしなければ、他者との連携が必須な芝居など動きはじめはしない。
瀬川さんはじぶんの演技やその方法を、ぼくたちが常識的にかんがえる演技という概念や様式性とは、ちょっと違うところでかんがえていたようにおもえる。瀬川さんの演技は、台本の物語性の解釈からはじまって、解釈による行動線の起伏の想定、それに見合う台詞の表現、呼吸と声、リズムの表現、そういったいわば事物や心理にいたる物象の動きを近似的に模倣する身体的な行為としての演技を、半ば放棄していたとおもえる。瀬川さんの演技は、自己表出の冪乗法を意味していた。それは、何度でも反復される自己資質との一対一の攻防そのものだったし、小さな自己処罰に他ならなかった。またそうみえてしまうのが瀬川さんの演技だった。瀬川さんは、いわば「役になりきる」のではなく、いつも「役を乗り超え」てしまい還路を喪くしひとりポツンと所在なげに佇んでいるようにみえた。意志的に役を超えるのではなく、かれの資質がそうさせてしまうのだ。じしんの資質との悶着に引きずられること、それに異議をとなえること、そしてそんなじぶんに罰をくだすこと、それらが三つ重なり合って同在する場所、それが瀬川さんの演技の場所だったようにおもわれる。なんのために、そんなことをするのか。それが、じぶんを慰藉する最上の方法だとかんがえたからだし、じぶんの資質を処罰するために編み出された唯一の方法だからだ。自己史の自然ななりゆきが、そんな方法を瀬川さんに選択させたのだ。観客もまた同様だ。生涯にわたるじぶんじしんとの煩悶の劇を瀬川さん演技のなかにみいだし、かれに強く惹きつけられていったのだ。
瀬川さんみたいな俳優さんはかつては沢山いた。ちょっと年配のひとなら記憶に残っているとおもうが、黒澤明の映画に客分の脇役みたいにしてよく出てくる左卜全や東映映画に出てくる上田吉二郎、喜劇役者でいえばトニー・谷、榎本健一なんかも、いつも役を飛び超えてしまう俳優さんたちだ。映画のなかでいつも左卜全や上田吉二郎は、全体としての物語の枠組みのなかで与えられた役柄の記号的な意味・形象をいつも超えてしまい、超形象みたいな存在の仕方をしている。もちろんかれらじしんが望んだことだ。演じ、表現することの業の深さや悲劇的な宿命みたいなものが確かにかれらのなかにあり、かれらじしんにもその噴出を堰き止めることができず、どんな芝居や映画に出演しても常識的な識閾を超えてかれらは超形象みたいな場所をひとりでに作りだしてしまうのだ。トニー谷や榎本健一も同じで、かれらの常識を超えた高いテンションは、物語に結滞や渋滞を与え、物語を寸断し、スムーズで流麗な物語の展開など壊してしまう。けれども観客としてのぼくたちは、それがかれらの芸だし、かれらを起用した映画監督や制作者たちの芸だとみなして、映画を楽しんでいる。だが当人たちは、それらしく演じることの不可能さや人並みに生きることの不可能さ、じしんの性格悲劇みたいなものに打ちのめされて視えない涙を流しているに違いなく、だれも覗くことのできないかれらの内面の楽屋は惨憺たるものだったろう。ぼくは密かに瀬川さんをかれらの系列に属する不世出の「負」の喜劇俳優さんだとおもってひとりで楽しんできた。
瀬川さんの芝居(=近代演技)は、「〜のために」とか「意味伝達の記号」でもなく、超えることの不可能な自己資質との果てしない攻防、それも先験的に敗北が決まっている異議申し立ての運動の本質をもつにいたったことを語っている。演技もまた、近代文学のたどったおなじ昏い路をたどっている。なぜ敗北が決まっているのか。じぶんの資質がほぼ決定される乳幼児期の母子の関係を、じぶんひとりで再現し注釈をしなおすことなど不可能だからだ。
いまでも眼をつぶると鮮やかさに想いだすことのできる瀬川さんの舞台(役)が二つある。二つともアングラ全盛期の作品で、太田さんたち転形劇場がもっとも元気のあった頃の優れた作品たちで、題名は忘れてしまったが瀬川さんが聾唖者の役を演じた舞台と「小町風伝」の大家さんで、瀬川さんはこれらの舞台で興味ある工夫していた。聾唖者という存在が世俗的に受けているいたたまれない悲しさという場所からできるだけ遠ざかろうとする工夫、大家さんという分限者然とした通俗的な場所から無縁なところで飄々と演じようとする工夫。そうした工夫は外皮的なものに過ぎないが、でもしばらくは既存的な形象の記号論的な意味から離れることはできる。もうひとつ工夫がみえた。舞台上の演じられるじぶんに現在的で感覚的な生命感を与える、いわば肉付けの作業過程での工夫だ。瀬川さんはたぶん、表現(稽古場)に形而上的な意味論も価値論も持ち込まなかった俳優さんではなかったろうか。持ち込んだのは、近傍の生活のなかのかれの信じられる日常的行為の可塑性だけで、じぶんの信じられる日常感覚だけを、それも幾たびも繰り返される稽古に耐えることのできる感覚だけを選択して、その心身のイメージにちょっとだけ瀬川流の配分率で接着剤を含ませて固めているようにみえた。瀬川さんは、じぶんの演技の領土とその拡大の方法を、たえずじぶんの足元の生活空間へ下降的に求めていたと想像される。かれの舞台姿が、もしあるとき形而上的にさえみえたのだとしたら、日常の光景はときとして非日常にみえるということに過ぎない。
瀬川さんのこうした演技への工夫は、役を演じることの現在的な困難さをすんなりとすり抜けていた。かれのこの独自の工夫は、「現在」に対するかれの勘所の冴えの所産とみることもできるし、かれの資質や嗜好がそんな工夫の仕方を自然に編み出したともみえる。また時間的な視点を加えれば、瀬川さんの前世代演劇(アングラ期以前)の演劇理念や教義に対するかれの独自の反錯定の仕方が、そんな工夫を生みだしたとかんがえることもできるし、あるいはぼくたちがもともともっているアジア的な習俗としての芸能性と生活慣習との結びつきがかれのなかでより強く熟成されて、そうした工夫を自然に生みだしたともいえなくもない。ここでは、いつの頃からか時間を特定はできないが、身を一点に凝縮する演技姿勢から、柳に風のような展(のびやかさ)性のある演技姿勢に転生を果たした瀬川さんを、ぼくたち観客は破格な驚きをもってみていたことを記しておけばよいとおもわれる。
アングラ期以降、演じることはますます困難になってきている。
演じることの困難さは、それらしく演じることにつきまとう白々しさをどう払底するかということに尽きるが、単純なことのようでいて実はかなり複雑な様相をもっている。外側の問題としていえば、この世界のどんな役でもすべてがどこかでだれかにすでに演じられてしまっていて、いまあらためて演じるとはその残滓をあさるという行為に過ぎないのではないか。あるいはいままだじぶんは演じてもいないのにすでにじぶんが演じ終わってしまったような想念上の既視感に襲われることだ。そんな心理が強迫観念みたいになって、だれもがそれらから逃れられないでいるのが現在だ。
もうひとつは、演じることの内側の困難さだ。これは、内在的な決定論の根拠をぼくたちがいまもちえないことの不安感からやってくる。備蓄された技術や知識の多寡によって決定論はもちえるとかんがえられるのならじゃあ勉強してくださいといえば足りることだし、また役柄の解釈と方向は演劇的な理念によって自ずと決定されると信じられるところではじゃあ余所見しないでそっちの方へ行ってくださいといえば済むことだ。両者とも不安など介在する余地はない。不安は、いわば日常生活の形而上学ともいうべきところからやってきて、ぼくたちの表現意識を根底から強く揺さぶっている。既にぼくたちは、かつてのように貧しくないはずなのにやはり貧しいと感覚される根拠はどこからやってくるのか。かなり豊かになったはずなのにどこか豊かではないと感覚される根拠はどこからやってくるのか。逆なことをいっても同じだ。ぼくたちは、いま貧しくも豊かでもない奇妙で明るい新しい場所へ羅針盤を持たずに放逐されてしまっている。いつの間にかに時代と社会が、ぼくたちの望みうる自由度を呑み込みながら、それを遙かに超える自由さをぼくたちに供出できるほど隔絶した膨張を遂げてしまったからだ。
ぼくたちが俳優に惹かれる理由はたくさんある。対象になる俳優の明るい人柄に惹かれたり、場合によってはその俳優の暗い負の匂いに惹かれたりもする。ぼくたち観客は、舞台上のそのひとと、ひとりの生活人としてのそのひとでは、まったく違った人間であることを熟知している。けれどもぼくたち観客は、舞台上のそのひとの像を肥大化させたり、矮小化してみたりして楽しむことをやめはしない。そんな楽しい遊びをやめるべき理由はどこにもないし、それがみることの愉楽だとおもっているからだ。
ぼくたちが瀬川さんに惹かれた理由は、瀬川さんの、投げやりな所作をともなわない「放棄」の姿勢、声を挙げて嘆くとことをしない静かな「諦念」の思想みたいな匂いを、瀬川さんの演技のうちに嗅いだからだとおもう。これはぼくだけの瀬川さんの像ではない。では、おまえはなにを根拠に瀬川さんの演技を「諦念・放棄」という形容で語るのかと糾弾されたら応えに困るが、ぼくたちが人生に幾度となく負傷してもなお生きざるを得ない存在であるとするなら、そんなぼくたちじしんの負傷感を、舞台上の瀬川さんが「おれもおなじだよ」と黙して引き受けてくれていたからだ、そうおもえると。
最後に瀬川さんとお会いしたのは、三年ほど前のぼくたちの芝居をみにきてくれたときで、開演は七時半なのに瀬川さんが劇場にいらしたのは夕方五時前で「ああ、やっと着いた。今日はお昼に家を出ましてね。なんとかたどり着けた」。はじめは瀬川さん流の冗談かとおもったが、そうではないことはすぐにわかった。芝居がはねたあと、いつものように飲み会になったとき、瀬川さんがぼくたちの芝居に今度は出たい、ぜひ出さしてくださいと申し出てくれて「最近の菅間さんの芝居は歌をうたうシーンが必ずあるから、わたし、歌をうたうだけでいいですから、台詞が歌詞ならなんとか憶えられますからぜひ出してください。どんな歌、わたし、うたったら面白くなりますかね」。瀬川さんにうたっていただく歌を選曲できなくなってしまったが、他者の構えを解きながら他者に慰安をもたらすこうした行動が、瀬川さんの芝居の食感というか感触とか呼ばれるものの優しさの本質で、陽の当たる世界で活躍する力量は充分にあり、もっといろいろな方面で活躍してもらいたかったが、日陰ばかりを好んで歩いたいた俳優さんだった。
病床にあった瀬川さんの噂は風の便りでぼくのところへも少しはきこえてきた。ご本人も不本意であったろうが、ご家族もまた幾度も天を仰ぎ地をみ、立ち尽くす日々の多かったことと推察する。こうべを垂れるのみである。ご苦労様でした。
瀬川さん、あなたの演技の表出は、すべてが任意の表現である演劇表現に、他者を惹き込む力と必然の生まれる場所が可能であることをぼくたちに教えてくれたのだとおもいます。瀬川さん、あなたの結滞し渋滞する瀬川さんの舞台のあの大声と呼吸音、愛嬌に支えられた深い眼差しは、ほかでもない児童が母親の関心をじぶんに向かせるため行動に近かったようにみえたのですが、ほうとうのところはどうだったのですか、一度訊いてみたかったです。
瀬川哲也さん、さようなら。長い間、ぼくたちを楽しませてくれて、ほんとうにありがとう。お疲れさまでした。
菅間 勇 2006/04
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